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2003.10.03

講座でのこと。

母が乳のみ子を抱いて受講している姿に、親近感をもった。2時間の途中、あ〜とかむ〜とか声を発する。そやけど、私は子どもの声はぜんぜん気にならへん。
それより、何度か「託児もありますから」と声をかけた職員の対応が、私にはひっかかった。「きっと泣きますから。。。」「うるさくて迷惑なようなら出て行きますから。。。」と母はそのたび答えていた。
この母は、この場にいちゃダメだって言われてるように感じてないかな・・・って気になった。我が子を泣かすのが嫌なのかな?それとも泣いた子を人に見てもらうのが気がかりなのかな?とも思った。
3度目に職員が声をかけたときに、母は机をかたづけてベビーカーを押して教室から出て行った。   私はすごく悲しかった。もう来ないような気がしたから、つらかった。
ところが!託児にあずけて母は教室に戻ってきた。 私はね・・・心の中で拍手喝采だったんよ。ぎゃんぎゃん泣いてる声にもまけず戻ってきた母を抱きしめたくなった。
子どもを泣かせたらあかん、と長いあいだ思ってた私にはなかなか越えられなかった壁だ。子どもを泣かす私は悪い母だと罪悪感にさいなまれていた。その価値感は子どもから受け取ったものなのか、社会から受け取ったものなのかはわからないけど・・・
鳴き声をバックに母は講座修了まで座っていた。「泣く子も社会に背負ってもらってええねんで。罪悪感をもたんでええねんで」「自分を優先した姿は輝いてみえるよ」って言いたい言葉を5回飲み込んだ。もし、彼女が罪悪感を感じていたら、私の本心さえ、社会からのイヤミに聞こえるだろうから・・・   
今日の母へのメッセージは、かつての私へのメッセージなんだと思う。